銃砲入門 第1回「火縄銃」

火縄銃とは火蓋が閉じた状態で火鋏を起こし、手に持った火縄に着火し、筒(銃身)に黒色火薬を入れてから鉛弾を巣口より挿入してカルカで鉛弾を押し込み、火蓋を開けて火皿に黒色火薬を少量入れ火蓋を閉じ、火鋏に着火した火縄を装着後火蓋を開け、狙いを定めて引金を引くと火鋏に挟んだ火のついた火縄が火皿に打ちつけられ筒の黒色火薬爆発して鉛玉が筒より発射されるという構造の前装銃です。(ここまで説明すると非常に手間のかかる行程を経て発射されることが判ります。)

鉄砲(鉄炮/火縄銃)が日本に伝来したのは諸説ありますが、所荘吉氏の著書「火縄銃」には天文12年(1543)8月25日と記されています。教科書には従来より種子島に漂着したポルトガル人から伝わったとされていましたが、近年は鉄砲伝来について諸説あるとの研究・解明もあり、教科書の記述からも「鉄砲は最初に種子島に伝来した」との記述は消えつつあります。日本銃砲史学会宇田川武久理事長も同時期に倭寇などが持ち込んだことにも触れ、多元的な鉄砲伝来経路があったことをうかがわせています。その後「燧石銃」が寛永20年(1643)にオランダ探検船ブレスケンス号の乗組員から伝わるなどして、嘉永元年(1848)12月には従来の火縄銃を廃して燧石銃にかえる計画などがあり、雷管銃が実用化されるに至り、およそ300年ゆるがぬ地位を誇った火縄銃もついにその王座を雷管銃に譲らねばならぬ時代が来たとのことです。(所荘吉「火縄銃」より一部抜粋)
火縄銃は日本国内において様々な種類が数多く製造され、戦においても各諸藩大名たちがこぞって徴用し脈々と継承され続けてきました。現在も全国に所在する鉄砲隊などが各地で演武を行い、日本の文化として生き続けています。