【お知らせ】横浜黒船研究会第56回オンライン(第234回定例会)講演会開催のお知らせ

このご案内は相互交流を目的とし日本銃砲史学会会員諸氏の横浜黒船研究会への参加と横浜黒船研究会メンバーの日本銃砲史学会例会への参加を促すために紹介するものです。

横浜黒船研究会第56回オンライン(第234回定例会)講演会開催のお知らせ
日 時:令和7年7月13日(第二日曜日)
(13:30 アクセス入場開始)
14:00~16:00
発表者発表者 酒井 逸朗 (当会会員)
題名 横浜中華街と買弁の関係題目
場 所:各自宅パソコン前
参加費: 無料
参加者は自宅よりカメラ付きパソコンから下記サイトにアクセスして、どなたでも
参加は簡単です、時間になりましたら下記をダブルクリックしてください。

https://teams.microsoft.com/l/meetup-join/19%3ameeting_ODNiZmQwZTEtNzQ4OC00OTllLWI5YmYtZTUyZDYzMjlkMDVi%40thread.v2/0?context=%7b%22Tid%22%3a%2221b0d6e9-8947-4c23-bdf1-1d2198f0ea21%22%2c%22Oid%22%3a%225d9e9bfc-0caf-431f-bd8b-674dff8c7420%22%7d

(上記URLのアンダーラインの不整脈等がある場合は添付WordFileの案内状を立ち上げてWordからアクセスしてみたください)

研究発表会
13:30 受付開始
14:00~14:05 開会のごあいさつ
14:05~15:30

趣旨:概要:横浜中華街と買弁の関係

私は数年前に、ある書物を読んだ折、買弁という言葉を知った。これを契機に買弁の意味することを調べた。その結果、横浜中華街の起源は開国後欧米商社と買弁の関係を理解することになった。漢字文化圏外の欧米商社は、我が国と商取引を行うについては、言語、習慣の相違から不都合が生じ、その不都合を解消する方法として、阿片戦争後に清国と通商を図る手段として、多くの欧米商社は、中国人のなかで英語を理解しするものを雇い、交易の仲介者として買弁が誕生した。その延長として、我が国との交易を開くにあたり、我が国の商人との接触において、買弁を伴った来日。1871年に清国との通商条約(日清修好条規)締結前には、中国人の買弁は欧米商社の雇人であることを条件として、外人居留地に住居をかまえることが許可された。その結果、当時の主要な輸出品である生糸、茶などの輸出がスムースに行われた。

一方、買弁は欧米商社に雇われている立場でありながら、自己の利益を図る存在であり、その具体的な内容は以下の通り。我が国との商取引において、口銭を日本の商人に要求することが許容された。商社からの給与の他に、口銭を得ることで、その結果財を成した買弁が出現。その代表例が何東である。買弁は仲介業以外に、商社の外国人が何不自由することなく生活できるように、料理人はじめ子守等の用意を買弁がすることまで業務を拡大して、商館、居住家屋のための大工、家具職人なども買弁が用意することが求められた。以上のような理由から、買弁の業務は拡大した。なお、ここでは欧米商社のなかで、最大の商社であるジャーデー・マセソン商会について触れることとする。

阿片戦争後の清国では多くの失業者が生まれ、一攫千金を夢見て、来日する中国人が横浜に溢れた。その結果僅かな資金で手っ取り早く稼ぐ方法として、料理人、仕立屋ならびに、床屋が横浜には繁盛するり至った。これらの職業は何れも包丁、ハサミ、かみそり等の刃物を使用することから、三把刀(さんばとう)を呼ばれた。

阿片戦争後には、我が国は鎖国体制のもとにあり、多くに日本人は西洋文明に接することはなかったが、開国後の横浜においては、多くに中国人を介して、その文明を理解するプラ�スの面を伴っていた。なお今回の講演では関東大震災までについて述べることとする。その理由は、大震災後は多くに建物が崩壊し、一部は神戸に移動をしたり、中国に帰国するなどで、買弁機能は低下して、今日に見るように順次中華料理店を主な業種に変化していった。

15:30~16:00  質疑応答

以上

横浜黒船研究会
事務局長
村上 隆
当会のホームペイジ:横浜黒船研究会
https://blog.goo.ne.jp/yokohamakurohune-society